タツマル(杉山龍丸)がインドの砂漠を緑化!経歴や家族は?世界ナゼそこに日本人1月21日

1月21日の『世界ナゼそこに?日本人』にインドでガンジー以来の偉人と尊敬される“タツマル”こと
杉山龍丸さんが取り上げられます。
全財産を投げうって飢饉を救ったとはどういう事なのでしょうか?
杉山龍丸さんの経歴や偉業、家族の事について調べてみました。

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杉山龍丸さんのプロフィールと経歴

名前:杉山龍丸(すぎやま たつまる)
生年月日:1919(大正8)年5月26日
出身地:福岡県福岡市

杉山龍丸さんは福岡で生まれ、福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)を出たのち、
陸軍士官学校(53期)に入り1940年に卒業します。
その後、陸軍の軍人として務めますがボルネオで胸部貫通の重症を負い、陸軍少佐として終戦を迎えました。

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杉山龍丸さんとインドのつながり

杉山龍丸さんはなぜインドに関わる事になったのでしょうか。
最初のきっかけは、終戦後の1955年に友人から紹介されたインド人でした。
そのインド人は日本で農業を学ぼうとしていたので、杉山農園で農業技術を教えました。

杉山龍丸さんが初めてインドへ行ったのは1962年の事です。
そこで砂漠となったパンジャブ州を見てなんとかしたいと思い、パルプの原料である
ユーカリを植え、ヒマラヤからの地下水脈をせき止めて水を確保することを提案しました。
ユーカリは成長が早くて根が深いため、水をせき止める助けもできるのですね。
更に国際文化福祉協会を設立しインド救援の寄付金を募ったりもしています。

ユーカリの植林を始めると、インドで飢饉が起こります。
3年間で500万人もの人が餓死する深刻なものでした。
インド政府は植林事業を停止せざるをなくなります。
そこで杉山さんは自分の4万6千坪もの農地を売り資金を作り、借金までしてインドに向かいました。

どうしてもこの事業をやり遂げなくてはと思ったのですね。
もともとお父さんから「この農園をアジアのために使え」とも言われていたそうです。

そして誰からの援助もなく、杉山さん一人の功績でインド、パンジャブ州からパキスタンまでの470kmの国際道路に16mのユーカリの並木を作りました。
その周辺の耕地が広がったのも杉山さんの働きです。
農作物の収穫が以前の3倍にもなり、地元の方たちに大変喜ばれました。

インドで杉山龍丸さんは「グリーンファーザー」と呼ばれ、尊敬を集めているのも納得です。

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杉山龍丸さんの家族

杉山龍丸さんは自身の偉業がすごいだけでなく、家族もすごい人たちなんです。

祖父:杉山茂丸
伊藤博文らと親交があった政財界の黒幕ともいわれる人物です。

父:夢野久作
SFや探偵小説を書いた作家。夢野久作というペンネームは父茂丸さんが「夢の久作の書いたごたる小説じゃねー」と
評したところからとったそうです。

弟:杉山参緑
仕事も所帯も持たず生涯放浪詩人として生きた方が弟の参緑さんです。

ふとしたきっかけで知り合ったインド人との出会いから、インドの人々を救いガンジー以来の尊敬を集めるまでになるとはすばらしいですね。同じ日本人としてとても誇らしく思います!

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