7月31日放送の『世界何だコレ!?ミステリー』では20世紀を代表する偉人、チャールズ・チャップリンと運転手をつとめたというある男性の物語が取り上げられます。
この運転手とは一体誰なのでしょうか。
気になる名前や経歴を調査しました。
そしてなぜ強い絆でつながれていたのに、チャップリンの秘書をやめてしまったのでしょうか。
何だコレミステリー/チャップリンの運転手は誰?
何だコレミステリーで取り上げられたチャップリンの運転手は誰なのでしょうか。
調べてみたところ、高野虎市(こうの とらいち)さんという方の名前が出てきました。
高野虎市さんは広島で生まれ、移民としてアメリカに渡った人物。
あるきっかけでチャップリンと出会い秘書として生活をともにするようになりました。
高野虎市(こうの とらいち)のプロフィール・経歴
名前:高野虎市(こうの とらいち)
生年月日:1885年
出身地:広島県安佐郡八木村(現・広島市安佐南区八木 )
高野虎市さんは広島の裕福な家庭に生まれますが、15歳の時に移民として渡米。
学校に通いながら働くという生活をしていたある日、チャップリンが運転手を募集していることを知り面接を受けたところ採用となります。
その後はチャップリンの秘書となり献身的に仕えるようになりました。
1934年にチャップリンの秘書をやめると、退職金として与えられた莫大な金額を手にします。
またアメリカの映画配給会社ユナイテッド・アーティスツ社の日本支社長のポストを用意され
ここで働くようになりました。
あまり事業はうまくいかなかったようです。
1941年には、アメリカで日本軍のスパイ容疑でFBIに逮捕されますが、事実無根でした。
第二次世界大戦が開戦するとてモンタナ州の強制収容所に収容。
「特に親米的な日本人」として待遇はよかったものの、釈放されたのは1948年8月でした。
釈放後は第二次世界大戦中にアメリカ市民権を失った日系人の権利回復運動に当たったり、
日本人移民のアメリカ永住権や国籍取得の支援を行います。
その後故郷の広島に戻り、1971年、86歳で亡くなりました。
高野虎市とチャップリンの出会いと関係
高野虎市さんとチャップリンが出会ったのは、チャップリンが運転手を募集していたことからですが
なぜのちのち運転手ではなく秘書として雇われるようになったのでしょうか。
高野さんの働きぶりが素晴らしく、その仕事に対する一途な姿勢に感銘をうけたから、というのが理由のようです。
一時期家の使用人全員を日本人にしたほど、日本人に対する思いが強かったようですね。
チャップリンは4回日本を訪れていますが、日本びいきになったのも高野さんの影響だと言われています。
高野虎市はチャップリンを五・一五事件から救った?
チャップリンが1932年に来日した歳、実は五・一五事件での襲撃の対象となっていたのはご存じでしょうか。
五・一五事件の前夜に皇居付近を自動車で走行していた時、高野さんはチャップリンに「車を降りて皇居の方角に向かって会釈してほしい」と伝えます。
チャップリンはなぜそんなことを言うのかわからなかったわけですが、高野さんが不穏な動きを察知し機転をきかせたことでチャップリンの命は無事でした。
それほどまでに有能でチャップリンに信頼されていた高野さん。
それなのになぜ、高野虎市さんは秘書をやめてチャップリンの元を去ったのでしょうか。
高野虎市がチャップリンの秘書をやめた理由
高野虎市さんがチャップリンの秘書をやめた理由は、チャップリンの奥さんであるポーレットが関係しているといわれています。
ポーレットには浪費癖があったとされており、高野さんはそのことを指摘します。
するとポーレットは激怒。
妻である自分をとるのか、秘書をとるのか決めろとチャップリンに迫ります。
そこで仕方なく高野さんは自ら身を引き辞めたんだそうです。
チャップリンは後から高野さんに戻ってくるようお願いしますが、それも叶わず。
もともと秘書は引退しようと考えていたそうです。
なんだかさびしいお別れですね。
それでも二人の間に強い絆があったことは確かです。
何だコレミステリー(7月31日・高野虎市とチャップリン)の番組内容
■大好評につき第3弾!電車マニア六角精児が、今なお残る“廃線跡”をめぐる企画!今回訪れたのは、大正時代に開通し、41年前に廃線となった岐阜県「北恵那鉄道線」の跡地。聞けば、その地には今も姿を変えずに残る“奇跡の鉄橋”があるとのことで、いつもに増してテンションが高い六角!大自然の中、至る所に点在する廃駅・線路跡の光景に「廃線跡に溺れそう」と笑みが止まらない…!さらに車掌・運転士を務め、廃線まで見守った方や、実際に電車を利用していた方々にお話を聞くと…消えゆく「古き良き日本の姿」が見えてきた。今回も六角の“熱い鉄道愛”が全開! ■20世紀を代表する偉人、チャールズ・チャップリン!実は、日本の“とあるもの”が大好きで、2度も岐阜県を訪れていたのだそう。当時、チャップリンが訪問したという場所を訪ね、詳しい話を伺うことに!チャップリンが日本を愛した理由をさらに詳しく調べていくと…そこには、ある“日本人男性”との感動秘話が!その方は、なんとチャップリンの運転手を務めた方で、人気絶頂の大スターを献身的に支えたという。絶対の信頼を得ていたものの、ある日2人に突然の別れが…関係者への取材を交え、喜劇王・チャップリンと日本の固い絆に迫る。