3月18日の『世界ナゼそこに日本人』にパキスタンに学校を作った長谷川恒男さんと奥さんの昌美さんが紹介されます。
長谷川恒男さんは世界的な登山家でもありました。
経歴やパキスタンに学校を作った理由など調べてみました。
長谷川恒男(はせがわつねお)さんのプロフィール
名前:長谷川恒男(はせがわつねお)
生年月日:1947年12月8日
出身地:神奈川県愛甲郡
出身学校:神奈川工業高等学校
🍀☆Good morning☆🍀
Road to Pharmacist General☆彡
3月4日 1978年の今日この日
長谷川恒男 アイガー北壁の冬季単独登頂に成功 https://t.co/8e5022srnm pic.twitter.com/dRK4pzqzXJ— 伊勢乃杜@2019弥生(低浮上) (@takayuki_sko) 2016年3月4日
長谷川恒男さんの経歴
1963年、長谷川恒男さんは神奈川工業高等学校を卒業すると、日本コロムビアに入社します。
この頃から兄の影響で登山を始めました。
1971年、日本コロムビアを退社し、日本アルパインガイド協会公認のガイドになります。
1973年には第Ⅱ次RCC主催のエベレスト登山隊隊員として初の海外登山を経験し、標高8300mに到達しました。
その後も冬季単独登山を行いますが、1991年10月10日、パキスタン・ウルタルⅡ峰登山中に雪崩により遭難しお亡くなりになりました。
まだ43歳でした。
恒男さんと妻昌美さんがパキスタンに5000万円で学校を建設した理由は?
今日は雨のなか、ハセガワメモリアルスクール訪問、幼稚園から短大まである。みんなえぇしの子ぉらしくてお行儀が良い。 pic.twitter.com/NpndPu74Ui
— 読み人知らず (@tukiyominomiya) 2016年4月2日
世界的な登山家である長谷川恒男さんと奥さんの昌美さんは、パキスタンに5000万円をかけて学校を作ります。
なぜパキスタンに学校を作ることにしたのでしょうか?
その理由は、長谷川恒男さんから奥さんに残された遺書でした。
恒男さんはパキスタンの秘境であるフンザをとても愛していました。
だからご自分の遺書にも、
もし自分の身に何かあったら土地の人が幸せになることをして欲しい
と残していたのです。
それを見た妻の昌美さんは、就学率の低いパキスタンという事もあり、秘境で学校もなかったため、それなら学校を作ろうと考えました。
昌美さんと登山仲間たちは学校建設のための寄付を募り、そのお金で長谷川学校「ハセガワメモリアルスクール」を設立したのです。
ハセガワメモリアルスクール(長谷川記念学校)とは
ハセガワメモリアルスクール(長谷川記念学校)は1997年に開校しました。
英語の授業に重点を置き、男女共学です。
この学校では4歳から18歳まで、パキスタンの教育制度でいう10年生までが学んでいます。
ハセガワメモリアルスクールのおかげでこのフンザのエリアの識字率もだいぶあがったという事です。
長谷川恒男と妻昌美はパキスタンに学校を作った!経歴や理由は?まとめ
日本人の登山家長谷川恒男さんがパキスタンに設立した学校について調べてみました。
長谷川恒男さんは本当にパキスタンの山を愛していたんですね。
そしてその気持ちを尊重して努力された奥様の昌美さんも素敵な方だなと思いました。
パキスタンの子供たちが安心して勉強を続けられるといいなと思います。